あなみぃーのつれづれ

日々の出来事…。日頃考えていること…。おいしい食べ物やお酒の話…。時々ショートショートなどを綴っていきます。

57年間をふりかえってみた その①

初めまして、57歳の男性です。

 

日々の出来事…。

日頃考えていること…。

おいしい食べ物やお酒の話…。

時々ショートショート…。など、

 

いろいろ綴っていきたいと思っています。

 

 

57歳で仕事を辞めました。

 

もちろんこれから働かないというつもりではありません。

 

ただ、社会に出てから35年間走り続けて来た時間にピリオドを打ちたかったので、

いったん全てを止めて、2020年の3月末で働くことから離れてみました。

 

表向きの理由はいろいろですが、

「もう、今は働きたくないなぁ」というのが本音でした。

 

なんでこんなに疲弊してしまったのだろう。

仕事を離れてから、いろいろと自問自答しました。

 

ちょうど世の中が外出自粛になっていたので、

いろいろと考えるにはとてもいい時間でした。

 

大学を出てから今まで、何度か転職をしてきました。

毎回、辞める前はいろいろな事情や状況がありましたが、

共通しているのは「他人に管理される」

「他人に干渉される」「他人に支配される」のは、

まっぴらという事でした。

 

もともと小さいころから、いろいろなことに納得がいかず、

反発する子供だったようです。

 

私自身は全く覚えていないのですが、

小学校1年生の頃、当時の担任の女性教師に意見し、

結局泣かせてしまったということがあったらしいのです。

 

母曰く、同級生のことで納得が行かなかった私が、

ひとりで職員室に行き、正論で意見したため、

新任だった女性教師が抗弁できず泣いてしまった、

という連絡を学校からもらった、という話を

後々に聞いたことがあります。

 

確かに昔は口が達者で、納得が行かないと

相手に対してとことん行ってしまう性格だったような気がします。

 

小学校の3年生のころ、夏休みに地域の球技大会があり、

小3から小6まで一緒になって練習をすることになっていました。

 

しかし私は、学校という縛りから解放されて自由になれる夏休みに、

自分がやりたくもない練習を強制される理由が理解ができず、

結局一度も練習に参加することなく、小学校を卒業しました。

 

当時、上級生からはいろいろと言われましたが、

そこそこ成績も良くスポーツも出来た子だったので、

同級生からは、はぶかれたり、いじめられたりすることはありませんでした。

 

しかし中学に入ると、部活動強制加入という

令和では考えられない昭和チックなルールのおかげで、

男子は運動部系に所属しなければならなくなってしまいました。

 

今では、公立の中学校でこのルールはありえないと思いますが、

当時はスポコン真っ只中の時代で、当たり前のことでした。

 

中学に入学した私は、とりあえず剣道部に入部しました。

昨年に新設された部活で、最上級生が2年生なので、

無茶なしごきは無いだろうと思ったのが理由です。

 

しかし、その期待はことごとく裏切られました。

 

剣道部の主将というのが究極に性格が悪く、

しかも自分が上級生からの指導を受けていないので、

下級生に対しての指導は、もはやいじめの域に達していました。

 

入部早々、剣道部の新入生はジャージの上に防具を付けられ、

来る日も来る日も、かかり稽古で防具の無いひじから上や、

胴から外れた太ももなどを、赤く内出血がおきるまで叩かれ続けます。

 

少しでも構えた竹刀が下がったら、

床に二本並べた竹刀の上に正座をさせられて、

かかり稽古が終わるまで、ずっとそのままです。

 

それだけではなく、練習中に戦意を喪失したり、

体力が続かなくなった新入部員は、そんきょ(蹲踞)という

爪先立ちで膝を開いたまま曲げ、腰をおろす姿勢を取らされ、

その膝の上に上級生が乗り、練習が終わるまで姿勢を崩さないよう

ずっとこらえさせるのです。

 

のちのち、江戸時代の「石抱」(いしだき)という拷問を知って、

そっくりだと思いました。

 

おそらく、これを読んで「あるある」とか「普通だったよね」

と思う世代は、40代から上の人たちでは無いでしょうか。

 

この頃特に疑問に思ったのは、なぜ「先輩」を敬わなければならないのか、

ということと、なぜ「先輩」という言葉で呼ぶのか、ということでした。

 

中学校に入学し、運動部系で扱われる「先輩」という言葉は、

当時の私にとっては、忌み嫌うぐらいに嫌な言葉でした。

 

「先輩」という言葉の本当の意味は何なのか、

辞書を引いて調べたりもしました。

「年齢・地位・経験や学問・技芸などで、自分より上の人」
または「同じ学校や勤務先などに先に入った人」

といった意味が載っていました。

 

この意味を見ても、やはり納得はできませんでした。

なぜ一年か二年早く生まれただけの人間に、ここまで

奴隷扱いされなければならないのか、虐げられなければいけないのか、

本当に理解できず、中学生時代は自ら進んで、

「先輩」という言葉は使えませんでした。

 

「先輩」という言葉を、自ら好んで使えるようになったのは、

高校に入ってからですが、その時のことはまた今度書きたいと思います。

 

長くなりましたが、自分が「上から押さえつけられる」とか、

「他人に支配される」「他人に管理される」のが極端に嫌いだと気づいたのは、

このころが最初だったと思います。

 

その当時流行っていたのが、「あぁ花の応援団」であり、

巨人の星」であり、「柔道一直線」でした。

 

マディソン(マジソン)バックで登校するのが憧れでした。

 

ピンクレディがデビューして、洋楽ではクィーンやキッス、

リビアニュートンジョンなどが流行りだしたのもその頃です。

 

今では普通になったのかもしれませんが、

1970年代後半の風潮の中では、自分という「個」を集団や

上下関係よりも優先させる性格は、異端だったのかもしれません…。